好きこそものの上手なれ

渋谷 雄大が普段考えていることをつらつらと。

つめこんで、ゆさぶって、空っぽにする

考えることについて、すごくしっくり来た言葉。

 

前回に引き続き、こちらより。

はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
 

 

 

それが、

つめこんで、ゆさぶって、空っぽにする

 

観察する。推論する。そうして手にしたものを書き出してみる。それをいくつかの仕方で整理する。組み替えてみる。聞いてもらう。そして、言いたいことを無責任に言い合ってみる。  そんなふうにして、問いを巡って、いろんなものをつめこんで、ゆさぶりをかける。  でも、いちばんむずかしいのは、つめこんだものをいったん空っぽにすることだ。つめこんで、空っぽにしないと、新しいものは入ってこない。こぶしを、開かないと。

空っぽにすると、忘れちゃうんじゃないかって?  もしそうなら、それはまだ問題が自分のものになってないってことだ。そのためにも、つめこんで、ゆさぶる。  だけど、つめこんだままだと、けっきょくつめこんだものしか出てこない。ゆさぶったままだと、混乱したままとり残されてしまう。だから、いったん捨てる。思いきって、ぽかん、とする。 罠 をしかけるようなものと言ってもいいかもしれない。罠をしかけて、そばでずっと見張っていたら、 獲物 だって近寄ってこない。

 

 
この感覚って凄い分かる。
つめこんだままだと、けっきょくつめこんだものしか出てこない。
ゆさぶったままだと、混乱したまま取り残されてしまう。
 
だから、いったん捨てる。思い切って、ぽかん、とする。
 
 
そうすると、そこに整理された考え方がポッと生まれたりする。
 
 
この感覚を大切にしたい。
 
まずは詰め込む。そこからゆさぶる。そこから手放す。