考えることについて、すごくしっくり来た言葉。
前回に引き続き、こちらより。
はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
- 作者: 野矢茂樹,植田真
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2004/08/01
- メディア: 文庫
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それが、
つめこんで、ゆさぶって、空っぽにする
観察する。推論する。そうして手にしたものを書き出してみる。それをいくつかの仕方で整理する。組み替えてみる。聞いてもらう。そして、言いたいことを無責任に言い合ってみる。 そんなふうにして、問いを巡って、いろんなものをつめこんで、ゆさぶりをかける。 でも、いちばんむずかしいのは、つめこんだものをいったん空っぽにすることだ。つめこんで、空っぽにしないと、新しいものは入ってこない。こぶしを、開かないと。
空っぽにすると、忘れちゃうんじゃないかって? もしそうなら、それはまだ問題が自分のものになってないってことだ。そのためにも、つめこんで、ゆさぶる。 だけど、つめこんだままだと、けっきょくつめこんだものしか出てこない。ゆさぶったままだと、混乱したままとり残されてしまう。だから、いったん捨てる。思いきって、ぽかん、とする。 罠 をしかけるようなものと言ってもいいかもしれない。罠をしかけて、そばでずっと見張っていたら、 獲物 だって近寄ってこない。
この感覚って凄い分かる。
つめこんだままだと、けっきょくつめこんだものしか出てこない。
ゆさぶったままだと、混乱したまま取り残されてしまう。
だから、いったん捨てる。思い切って、ぽかん、とする。
そうすると、そこに整理された考え方がポッと生まれたりする。
この感覚を大切にしたい。
まずは詰め込む。そこからゆさぶる。そこから手放す。